歴史の長さと人生の長さ1

今回の九州旅行には、友人との観光目的と自分の仕事目的との両方がありましたが、実はもう1つ目的がありました。それは、私のルーツを求めることです。

私は福岡県の出身です(ただ、あまり長く住んでいなかったので、言葉等を含めて、それほど九州っぽいわけではありません)。母の実家が久留米にあり、母の姉が今、住んでいます。

今回、九州旅行のついでに、この伯母(91歳)に会いに行きました。伯母に会ったのは、祖母の葬式以来30年ぶりです。久留米の家を最後に訪ねたのは、それよりも遡り、37年前でした。

実は、今、私が興味を持っていることの1つに、家系図の作成があります。自分の先祖が誰であったか、を戸籍を取る等して調べて、それを図面に書き込んでいます。

母方の方は、私より4代前まで遡ることができました。私のひいひいおじいさんですね。

成瀬啓輔という、久留米藩士でした。肖像画が残っていました。

この啓輔の子が、私のひいおじいさんで、成瀬元敬といいます。元敬は、1857(安政4年)生まれです。

安政というと、日本史の「安政の大獄」(安政5~6年)が有名ですね。井伊直弼とか吉田松陰とかが登場します。安政の大獄で尊攘派の怒りを買った直弼は、桜田門外の変(安政7年)に倒れ、豪徳寺(招き猫で有名)に葬られます。

 

↑ 東京都世田谷区の豪徳寺の井伊直弼の墓の前で。

つまり、私のひいおじいさんは、幕末史で学ぶ様々な人物と同じ時代に生きていた、ということですね。

ただ、この成瀬元敬が10歳ぐらいのときに明治時代が始まっていますから、実質的には明治の人ですね。

成瀬元敬について、デジタル国会図書館の資料を調べてみると、次のような記述が出てきました。

成瀬元敬 水縄村

累代醫を業として久留米に在りしが、氏に至りて明治十四年現住森部に移住す。幼にして千足の醫師三浦養丹久留米藩天典醫土肥元有の門に歴學し、明治十四年業を開く。 (『浮羽郡辭書』)

つまり、私の御先祖さまは代々お医者さんで、ひいおじいさんの成瀬元敬は、久留米藩の御典医のもとで勉強し、明治14年に若くしてお医者さんを開業した、ということですね。

明治14年といえば、日本史で「明治十四年の政変」(大隈重信の下野)として習う年ですね。

私にとってはひいおじいさんですが、私の母や伯母にとっては「おじいさん」です。今回、伯母に「成瀬元敬に会ったことはあるか?」と訊いてみたのですが、残念ながら会ったことはない、とのことでした。

もちろん、私の祖父(つまり私の母や伯母の父)なら、親である成瀬元敬に会ったことがあるはずです。ただ、祖父は私がまだ幼少のときに亡くなってしまっており、そうした話を私がするチャンスはありませんでした。一方、祖母は私が30歳ぐらいまで存命だったので、今になってみると、会ったことがあるか、どんな人だったか、等、訊いておけばよかったなあ、と思ったりします。

(つづく)