荻外荘は、近衛文麿の別宅で、戦前の重要な政治会談が行われた場所、ということ以外にも、さまざまな歴史的文化的意義のある場所です。
最初の持ち主は、近衛ではなく、大正天皇の侍医頭であった入澤達吉という人物です。
この人が自分の義弟で、有名な建築家である伊東忠太に設計を依頼して自宅を建てました。
伊藤忠太は、平安神宮や築地本願寺などを設計した人です。
平安神宮は、京都三大祭りの1つ時代まつりで有名です。
築地本願寺は、インド風の寺院として有名ですね。夏には盆踊りが行われます。
1927年(昭和2年)に大正天皇の侍医頭入沢達吉が義弟で建築家の伊東忠太に設計を依頼して建てた邸宅「楓荻凹處」(ふうてきおつしょ)として創建された。南に斜面を持った高台に立地し、近くは善福寺川から遠くは富士山までの景勝を一望のもとに見渡せるこの別荘に惚れ込んだ近衛は、入沢を口説き落として1937年(昭和12年)、これを購入し、その後西園寺公望によって「荻外荘」と命名された。(Wikipediaより)
西園寺公望は、「最後の元老」といわれます。1940年(昭和15年)に90歳で亡くなっています。
(続く)