ChatGPTを使う②

前回の記事では、将来、通訳やガイドなど、言語活動に関する仕事がChatGPTに取って代わられる度合いは、思ったより限定的であろう、という私の意見を述べました。

その理由は、少なくとも言葉に関する限り、人間は意外と「感情」に重きを置くからです。

つまり、人間は、常に「コスパ」を追い求めているように見えて、実は「好きか嫌いか」の方を(無意識に)重視している、ということです。

今、問題となっている「ChatGPTで大学のレポートを書くのは禁止云々」といった話、あれは学生が「別に勉強は好きではない。単位さえ取れれば楽な方がいい」と思い、大学の方が「学生が一応、事実を理路整然と並べたレポートを出してくれば単位を与える」という仕組みにしているから、そういうことをしたり、禁止したり、ということが起こるのです。

つまり、卒業単位取得は「コスパ」の方が優先になる例なのですね。でも、これは人間の言語活動において、どちらかというと例外に属するでしょう。

人が言語を使う場合は、できるだけ「楽しい」使い方をすることを志向するはずです。お友達と喫茶店で雑談するのは「楽しい」言語活動です。外国人と文化交流するのも「楽しい」言語活動です。しかし、機械にレポートを書かせるのは「楽(ラク)」ではありますが、「楽しい」活動とは言えません。

数百年前、産業革命により、それまでの家内制手工業が大幅に減る、ということがありました。

これは例えば、これまで個人が手で作っていた綿のシャツよりも、工場で大量生産した綿のシャツが消費者に選ばれたからですね。でもこれは、シャツだからそういうことが起きたのです。

シャツなら、特にこだわりがある場合を除き、安くて十分に質の良い大量生産のシャツが選ばれます。しかし言語活動の場合は、人間は、むしろこだわりがある場合の方が多い、と思います。

産業革命により、職人は大幅に減りました。以降、普通の人にとって「仕事」とは会社に行くこと、になってしまいました。

しかし、ChatGPTをその一部とするIT革命は、むしろ、以前、職人が行っていた家内制工業を復活させる方向に働くトレンドだ、というふうに私は思います。

ユーチューバーやブロガーなどは、まさに言語活動を基礎とし、ITを使った家内制工業であり、産業革命により絶滅の危機に瀕していた職人の復活です。

つまり、人間がITを使って、楽しく自己実現・成功した、ということ。これは通訳やガイドの仕事にも妥当します。私の仕事であるレッスンや教材作成もそうです。

そうすると、我々は、ChatGPTに取って代わられるのではなく、これを使いこなして仕事や勉強を楽しくやるべし、という極めて単純で当たり前の結論となります。

もうお判りいただけると思いますが、私は決して、アンチChatGPTではありません。これをうまく使って「楽(ラク)」かつ「楽しく」(「かつ」が重要です)仕事や勉強をしたい、と思っているのです。

ChatGPTは、パソコンやインターネットといったIT革命という大きな流れの一部であり、極めて優秀なアプリの1つであって、それ以上でもそれ以下でもない、というのが私の考えです。